第3章 外出して買い出し

 素材店は広かった。客層が魔法使い向けのせいか人影はまばらで、店内は妙にしんと静まり返っている。

 アリシアが扉をくぐるなり、店員がさっと駆け寄ってきて、うやうやしく礼をした。公爵家の家紋など、そうそう拝めるものではない。自然と腰も低くなるのだろう。

 アリシアは挨拶もそこそこに、紙切れを一枚差し出す。

 「この材料、揃う?」

 そこに並んでいるのは、よくある低級の魔薬素材が20種類。彼女が本当に欲しているもの――魂薬の主薬――は、あえて書かなかった。

 高価であること。相場が読めないこと。もし値段を聞いて買えずに引っ込める羽目になれば、無駄に目立つ。まずは無難な品で店の懐を測り、まとめて会計できる形にしておく。それが賢い。

 店員は紙に目を落とすなり、即答した。

 「はい、すべてございます」

 アリシアはそれ以上言葉を重ねず、ひとりで店内を歩き始める。ゆっくりと棚を追い、時折立ち止まっては札をつまみ上げ、細部まで目を通す。

 店員からすれば、どれもありふれた低級素材にすぎない。だが彼女にとっては違う。それらはどれも欠ければ成立しない部品だ。

 頭の中で、次の実験手順を何度も組み直す。

 高級素材は個別に保管されているが、カウンターには見本と説明、それに値札が整然と並び、ひと目で分かるようになっていた。

 そして、見つける。

 魂薬の主薬――魔鬼安息樹の枝。

 値札には、1g100金貨。

 アリシアはその数字を見つめ、まぶたがぴくりと跳ねた。前世では束で買っていた。一本束で数十金貨。燃やすと煙が多いと文句まで言った。それがここでは、たった1gで100金貨。

 理由は明白だ。この世界では、危険で気難しい魔法植物を人工栽培する者がいない。冒険者が命を賭けて採ってくるしかないのだ。

 ――高い。だが、買う。

 魂が先だ。

 さらに思う。どうせなら多めに確保し、まとめて煎じておくべきだ。将来値上がりしてからでは遅い。5回分に加え、予備として半回分――そこまで上乗せする。

 頭の中で素早く算盤を弾いた。いまの資金で作れるのは、等級を落とした安価な魂薬がせいぜいだ。だが構わない。治ればいい。まず魂を落ち着かせ、調整は後から時間をかければいい。

 素材選びは慎重を極めた。年数、質、価格を見比べ、良品で割安なものを拾っていく。店員も彼女の真剣さに気圧されたのか、入荷したばかりの品をいくつか勧めてきた。

 そうして、魂薬5回分の材料を揃える。リストの低級素材20種も、必要量をそれぞれ購入した。その中には、蜘蛛糸の処理に回すつもりのものが多い。

 さらに錬金で常用する中和剤と活性剤にも目を配った。蜘蛛糸の処理と、固化剤の煎じに欠かせない。

 品目が雑多なせいか店員がちらりと不思議そうにしたが、公爵令嬢相手に余計な詮索はしない。視線だけで飲み込んだ。

 会計では母の魔法ギルド徽章を出す。すると店員はすぐに割引を適用し、合計金額が9.5%引きになった。アリシアは宝石の腕輪――空間道具――から金貨を取り出して支払う。

 合計は1800金貨あまり。ほとんどが主薬代だ。

 店を出ても、アリシアは屋敷へは戻らなかった。通りの向かいにある冒険者ギルドへ向かう。

 前世に通い慣れた道だが、今や見る影もなく、すべてが様変わりしていた。看板はいくつか変わっていたが、門の位置は同じ。弯刀の紋章が掲げられた大扉へ歩くと、出入りする人間の熱気が肌に当たる。

 彼女は掲示板に依頼を出した。

 低級魔蜘蛛糸と糸腺の買い取り。報酬は同等素材の相場を参考に、やや高め。

 張り出した瞬間、視線を寄せる低級冒険者は少なくはない。

 貴族令嬢が魔蜘蛛糸の買い取りを出すなど珍しい。蜘蛛型魔獣の糸は大半が無毒で、有毒の糸はむしろ稀だ。それでも世間では、低級の蜘蛛糸は「使い道のない厄介なゴミ」扱いである。強靭で粘つき、放っておけば汚れる。処理も面倒。だから冒険者は低級の蜘蛛型を見れば避けがちだ。

 髭面の低級冒険者が報酬欄を見て、ちっ、と舌を鳴らした。いったんは引きかける。背後の仲間が目配せで『やめとけ、あれは面倒だ』と言っているのが分かる。

 だが男は金額を数え直し、結局ふらりと前へ出て依頼を受けた。

 アリシアは知っている。ゴミ扱いの蜘蛛糸も、固化剤で処理すれば絹のように織れる。そしてこの世界には、蜘蛛糸布そのものが存在しない。これほど分かりやすい商機はない。

 もちろん、いきなり手札は見せない。買い取りは始まりにすぎない。処理、紡績、販路――段階を踏む。

 いま最優先は、傷ついた魂を治すこと。

 報酬が少し高いのもあって、依頼はすぐにいくつも受注された。アリシアは糸と糸腺の保存方法を念押しし、ギルドを後にする。

 その足で小さな道具店に入った。置いてある品物はどれも抜かりなく揃っている。アリシアは品質中程度の錬金道具一式を揃えた。坩堝、計量器、薬瓶、温度計――必要なものを一通り。支払いは1000金貨を軽く超える。

 店主は大口客に機嫌よく、濾布と攪拌棒をおまけに付けてきた。

 「またお越しくださいませ、お嬢様」

 アリシアは曖昧に頷き、次に補充する品を頭の中で並べる。買い物が多すぎて、店は屋敷への配送を請け負った。

 さらに書店で空白の魔法ノートを数冊買い、ようやく馬車で帰途につく。

 馬車の中で今日の出費を反芻する。小金庫は小半分ほど減った。だが材料と道具、それに買い取りの導線を手に入れた。悪くない。むしろ安い。

 屋敷に戻ると、アリシアは執事を呼び、淡々と告げた。

 「実験室を用意して。静かで、邪魔が入らない場所がいい。できれば人の出入りが少ないところ」

 以前の公爵令嬢に実験室などなかった。執事は少し考え、夫人の実験室が空いていると提案する。屋敷の一角にある塔楼だ。

 アリシアは塔楼を思い出し、母の私物が残っていないことを確認してから頷いた。封鎖されがちで静か――前世の魔法塔を思い出させる。

 翌朝早く、アリシアは実験室に入ったきり、一日中出てこなかった。食事は侍女が運び込む。

 材料を分類する。魂薬用、蜘蛛糸処理用。道具を磨き、実験台へ整然と並べる。空白ノートを机に広げ、ページを押さえる。

 準備が整い、坩堝を据え、炉に火を入れた。

 最初にやるのは、魂を癒す薬だ。

 蜘蛛糸を布に変える手順は、すでに頭の中で完成している。あとは糸が届くのを待つだけ。買い取り依頼の返事は数日で来るだろう。

 その前に――この傷だらけの身体を、全力を振るえる状態まで戻す。

 ぱちぱちと炉火が鳴り、坩堝の中で薬液がぐらりと揺れ、やがてとろりと踊り始める。澄んでいく液体を見つめるアリシアの表情は、静かだった。

 反撃は、この一鍋から始まる。

 扉の外で侍女が夕食の伺いを立てたが、彼女は顔も上げず、手だけで追い払った。

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